日程

期間 2005年8月11日〜19日(移動日を含む)
目的 シシュビカスケンドラ(障害児施設)等における障害のある人々と指導の実態把握
   ポカラ地域における障害の人々の暮らしの実態把握
   必要とされるニーズの把握・指導内容や指導法の改善の方法の検討
   ネパールにおける障害児・者センターの在り方の検討  
方法 観察・面談・聞き取り
日程 2005年8月
11日〔木〕 午前1:25関空発 午前8:20バンコク着 午前10:30発 
      午後12:35カトマンズ着 AGE(障害児施設)訪問 
カトマンズ泊「ペンションバサナ」
12日〔金〕 カトマンズ発 ポカラ着 シシュビカス・ジョティーケンドラ訪問 
泊「ホテルサントシ」(13日まで) 
13日(土) サランコットに住む友人マヘンドラ家訪問 
14日(日) ジョティ・セワケンドラ訪問 泊ダミアン(宮さん)家(16日まで)
15日(月) シシュビカスケンドラ訪問
16日(火) セワケンドラ訪問 
17日〔水〕 ポカラ発 カトマンズ着 バクタプルに住む友人を訪問
泊「ホテルレッドプラネット」 
18日〔木〕 カトマンズ13:40発 バンコク18:10着 23:59発
19日〔金〕 午前7:30関空着 

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はじめに

今回のネパール行きは、私にとっては4回目であったが、これまでの個人的な3回の訪問とは少し趣きが異なった。どちらかと言えば、4回目にして、最初の訪問であった20数年前の訪問の動機に似ているといえるかもしれない。

私が高校の頃、バングラデッシュにおける難民問題が当時、幾度もニュースになっていた。テレビで貧困に飢えた子どもたちのリアルな姿が報道されるのを見るにつけ、自分に何ができないかを真剣に考え、すぐにでもパンと絵本と毛布を抱えて現地に出かける準備と心構えをしていた。また、このことは現実に今の自分に何ができるかというきっかけになり、点訳ボランティアと障害者の施設訪問を行ったりしていた。その後、まだ学生運動のくすぶりが若干残るような時代であったが、教育学部のある広島の大学に入り、生きる意味を考えに、タイ、インド、ネパールに3ヶ月の放浪の旅などにもでかけた。コルカタ(旧名カルカッタ)ではマザーテレサの死を待つ人々の家でも貴重なボランティアの体験をさせてもらった。

あれから20数年近く立った。考えてみれば、大木神父様はその頃すでに単身でネパールに渡り、貧しい子どもたちや多くの人々のために粉骨砕身、努力されていた。
前ぶりが長くなったが、今回、私をポカラへ誘っていただいた倉光先生をはじめ、ポカラの会の皆様には多大な至福を与えて頂いたことに感謝している。個人的な夢の延長線で天上に向かう大きな交差点にさしかかり、周りを見渡せば、勇壮で心おだやかな風景が広がっている、それで、いっそう大きな心持ちで歩んでゆくことができるステージに立っている、そのような印象をもつくらい、個人的ではあるけれど、大切な旅と考えている。
歳月人を待たず。今、振り返ればこれまでの一つ一つの出来事が点のように見えながら、実はつながってきている。そんな体験を誰彼、持っているかもしれないが、今回の旅も私に与えられた天命として感謝して過ごしている。
 自分の持っている可能性を最大限に発揮する。それは自分に完結するだけでなく、多くの人々から支援のエネルギーを得て活かされていることに感謝し、そのエネルギーを自分らしく放出することができれば最高、無上の喜びである。
 
今回の旅の主な目的は、ネパールの障害のある子どもたちがどんな学習をし、どんな生活をしているのかを知ることである。事前の学習等でネパールでの障害児教育をめぐる動向やネパール国のシステムは若干は理解しているが、百聞は一見に如かずである。実態はどうであるか。具体的なケースを通じて知りたい。課題は山のようにあろうが、一番困っているケースは何かを一緒に考えさせて頂く。支援はネパールの子どもたちの実情に合わせてオーダーメイドにしていく必要がある。実態把握の方法も。記録の付け方も。指導計画の立て方も。ただ、共通することは、こどものニーズである。
 ただ、このことをしっかりと行うためには、何年もの月日を要するのも事実である。まず、なんといっても地元の人々のコミュニケーション、そして信頼を得ることがとても重要である。今回、ごくごく限られた時間でもあり、当初の計画どおりにはいかなくとも、次への課題をしっかり把握し、次回につなげていきたい。「念ずれば花ひらく」ー詩人の坂村真民先生のことばのとおりの精神で、まずは今、旅立ちができることを心から感謝する!

投稿者 kanrinin : 14:02 | Trackbacks (0)

出発前夜 8月10日(水) 

何はともあれ、無事、出発にこぎつけた。今、関西空港へ向けて広島から新幹線に乗り込んだ。出発直前まで勉強のチャンスは逃がす手はないと「さをり織り」と「演劇教育」の研修会へ参加。何れも自分の仕事とライフワークのテーマに直結しているため、のどから手がでるほど今は貪欲に学びたい。「さをり織り」と「演劇教育」。まったくつながらないようなものが、実は、「表現」の視点から見れば、自由な自分の発想や思いをクリエイティブに創造できる内容があり、なおかつ他の人々とのコミュニケーションの方法や媒介にもすることができる。それらは私個人の座標軸のなかでは、ネパールの自立をベクトルとするプラスアンドプラスにエネルギーが流れていくものである。単に生きるための手段としてではなく、内実そのものがネパールの障害のある子どもたちや人々の自立につながるものにならないか、私のなかに沸々とエネルギーがわき起こる。ともあれ、出発にこぎつけた。最大の感謝をポカラの会のみなさまと家族の一人一人に送りたい。

 今回の訪問の目的はポカラでの障害のある子どもたちの実態を把握する、それに見合った支援の方法について検討することである。とにかく行動すること、慎重かつ大胆に。そして今回、ポカラの会のスッカさんから依頼を受けた絵本となにがしか集めていた古着を運ぶため、荷物は預けるもので22キロ。機内持ち込みで10キロを超えている。肩にずっしりとネパール訪問の喜びと重みが感じられて幸せである。本当に久しぶりの海外一人旅である。

関空発タイ航空 便にも親子づれでタイへの旅行を楽しみに出かける家族があちこちにいる。いい思い出を作ってきてください。私もこれまで家族とは2000年から2001年の冬にかけて、そして2003年から2004年にかけてそれぞれ約10日間のネパール訪問を行った。下の子がまだ保育園の年長だった。一瞬、一瞬、どんな時代の風に吹かれていようと、自分の身と周りに幸せに感じながら生きること、今ここにあることを喜びと感じて生きてきたことは自分のとても好きなところだ。昔を懐かしむことはあるが、今が充実しているためか、格別戻りたいと思うことはほとんどない。自分の可能性を信じて取り組めることは20代,30代のころよりもむしろ数多く見えてくる。今回の旅も20年前の一人旅とは違う。ただ、気負うことなく、私のエネルギーを自分に帰結させるのではなく、ネパールの人々へ循環させること。ネパールの人々のために何をするか、何ができるか、私自身の成長の証になるという点で、大変、身がひきしまり、緊張する。

投稿者 kanrinin : 14:12 | Trackbacks (0)

第1日目 8月11日(水)

カトマンズ着地

久しぶりのジェット機の深夜便。なかなか寝つけない。早朝、体を目覚めていないなかでの朝食。大学時代、山岳部の合宿中、未明のテント内で伸びたラーメンを食べるときの気分です。食べたくない、でも食べないと動けない。食べたくても食べれない子どもたちのことを思う。ぜいたくな話。でも正直、少し辛いな。
バンコクの前に途中、プーケットにいったん着陸。朝の5時半はまだ闇の中。昨年末の津波の影響はまだ残っているようで、降りる人もまばらである。現地ではプーケットを旅行してもらうことが支援になるという。現地に金を落としていくことが支援であるにしても、その恩恵に預からない人々も多く暮らしている事実もあり、旅するものは金の使い方や人々の心情を十分察しながらの行動が求められる。
 
 午後1時半にはカトマンズ、トリブバン空港に到着。雨期ではあるが、ラッキーにも雨は降っていない。迎えにペンションバサナのウッダブさんが迎えに来てくれている。ペンションバサナは広島在住20年めのシュレスタ岡本さんのお姉さんがご主人と一緒に経営されている、ネパールでは中級クラスのホテルだ。シュレスタ岡本さんは私が所属している、在住ネパール人の支援活動を五日市公民館を中心にした「モハニの会」(代表 高田登代子 会員20名)とも深く繋がりをもっている。また、同じく広島でネパール支援活動を行っている楠那公民館を拠点行っている「楠那ネパール友好協会」(代表 松末邦雄)とも連絡をとり、このシュレスタさんにもお世話になり、カトマンズで唯一の肢体障害児施設AGEにも訪問する予定にしていた。ただ、当日は、子どもは3時までの学習で、帰っていて大変残念だったが、スタッフが待っているというので早速出かけることにした。

当日は、女性のスタッフ3人のほかにその夫も控えている。そこは、3階建ての建物の一部を借りており、指導のための部屋は一部屋10畳から14畳ほどの部屋が4部屋ほど。日本からの支援による訓練器具や補助具などが所狭しと並べられている。肢体不自由の子どものための机も多数ある。ご存じのように、ネパールでは「社会福祉法」があるが、国からの経済的な援助や具体的な支援は皆無である。この施設も諸外国や楠那公民館などの支援を受けて、民間のNPO法人やボランティアの協力で運営が成り立っている。
その日は十分な時間もとれず、具体的な指導内容の話はできなかったが、日本の特別支援教育のプログラム等を学びたがっていた。ここネパールでもやはり職員の専門性の向上が課題である。
AGEからペンションバサナまでの帰りの道は歩くことにする。この季節、途中、路上ではいたるところでとうもろこしを焼いて売っている。5ルピー(約8円)を出して試食することに。甘みはほとんどない。でも現地の人々はおいしいと感じるのだからきっとおいしいのだろう。ただ、今が旬という「なし」にはなかなかお目にかかれなかった。途中道を一本間違えたとき、大通りの排気ガスはひどい。信号も1箇所だけでなく複数見かけたが、マナーはよくない。また、政府庁舎の前を通ると、庁舎の壁の要所、要所では、塀の周りには土嚢がつまれ、交差点にはライフルを構えた兵士がマオイストたちや支持者たちの武装攻撃に警戒にあたっている。

投稿者 kanrinin : 06:52 | Trackbacks (0)

第2日目 8月12日(金)

ポカラへ

朝、目がさめるとまだ暗い。そのはずで、時計を見るとまだ4時である。疲れているはずなのになぜと考えれば、理由はたぶん体内時計というやつ。日本時間で言えば午前7時15分でとっくに起きている時間である。毎朝5時起床でせめてもの家事(朝食準備)をさせてもらっている私としては、極上の時間帯である。朝のトレーニングをと思いきや、外はどしゃぶりの雨である。むしむしするので扇風機をつけようとするが、停電でつかない。カトマンズの電力事情を知っているから腹も立たないが、こんな大きな(私にとっては)ホテルでも同様に停電はやってくる。朝食は2米ドルの超豪華な食事。オムレツ、コーヒー、肉じゃが、バナナ、食パンで満腹に。
傍らで私の食事につきあっていてくれるマネージャーのウッダブさん(32歳)と話によると、昨日のカトマンズ北西100キロ地点での政府軍とマオイストとの交戦の事件で政府軍が40人殺されたという報道について、外国向けにその死亡者数は情報操作されている、実際にはもっと犠牲者は格段の数で多いということである。かって日本が戦時中に大本営発表の戦果を虚偽報道していたようなものである。

ここカトマンズにも日本からJICAや個人で仕事やボランティアのため長期滞在している人もいて、ここペンションバサナにも日本語学校の講師として4月から滞在している人がいた。日本の環境とはずいぶん違い、いろいろなウイルスが蔓延しているだけに、健康管理がとても大切になる。ネパールの学校建設に長年尽力されている元広島経済大学の松田實先生もよく学生をつれてこのホテルに投宿していたとのことである。松田先生は15年ぐらい前から学校建設に関わり120校くらい造られたという。ネパールの教育事情を巡ってはいろいろ課題はあり、その第一歩としての器を推進されたこれまでの功績はさすがである。このたび、その功績に対してネパール国王から表彰を受けられた。
ポカラ行きの国内航空のブッダエアが11時20分発なので何時に出るかと聞くと10時40分でいいという。日本では遅くとも1時間前には行っている、大丈夫なのかと聞くと、笑いながらネパール人は誰もそんなことはしない。日本人はせっかちなのねと言いたげな顔で、それでも心配なら早めに出てもいいという。さすがに国民性の違いを感じましたね。

 ポカラまでのブッダエアからは厚い雲に覆われて、ヒマラヤは見えない。
ポカラに付くと小雨がふっている。タクシーの運転手に「Father  ooki」というとすぐ理解して、大きな荷物をトランクにつめこんでくれ、走らせてくれた。いよいよ目的地だ。
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 シシュビカスケンドラの前にタクシーが止まり、降り立ったときに、やっとこれたという思いで熱く胸がふくらんだ。ネットの中の映像でなく、現実にその風景に自分がとけ込んでいることが何ともいえずうれしかった。門をあけると、大木神父は子どもたちと食事中であるというので、しばらく近くに散歩にでかける。シシュビカスを出てオールドバザールに向かって歩いて2〜3分の四つ角にはシッダルタクラブがある。散歩から帰ると大木神父が書斎にもどっているのでお尋ねをした。倉光先生の著書「ヒマラヤの麓から」や「ポカラの会」のホームページで知っていたことも大木神父直々から聞くこれまでの経緯やネパールの教育の現状等の話は改めて重く私の心に響いた。

そのうち、子どもたちの帰りの会の時間になるというので、子どもたちと対面し、自己紹介をした。子どもたちは6歳から15歳までの軽度の知的障害の子どもから肢体不自由を伴った中程度の障害のある子どもまで、20名近くの子どもたちに、「しばらくお世話になるのでよろしく」と、詳しくは大木神父の通訳で伝えていただく。
クリックすると大きな画像が表示されます施設は、これまで何度かよりよい環境へと多くのポカラの会をはじめ多くの日本の方々の寄付等により、改善がなされてきている。現在、新しい校舎を計画中である。来訪者は多く、この日も私の他に鳥取の方から障害児教育に携われている男性がやってきて、その後も一緒にお話をすることになる。日本の障害児をめぐる環境の変化やこれからのこと含めていろいろと話がはずんだ。
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まだ宿を決めていないので宿舎探しに出かける。車で10分くらい南にくだったところで、ジョティーケンドラにもわりと近いとことにある、プリティブチョークというところにある安宿に決める。ベッドが二つに天井には大きな扇風機が、シャワーとトイレがついていて、200ルピー(約300円)である。にぎやかな通りに面しているが、どこでも適応できる私、ここにとりあえずの宿にする。ホテルSANTOSHI、ネパール人やインド人が止まるビジネスホテルといった感じ。二つのベッドの上には大きな扇風機がグルングルンと回っている。

さっそく荷物を置いて、ジョティーケンドラに向かう。丁度同じ広島から講師として来られている戸田先生によるモンテッソーリ教育についての職員研修中であり、私も一緒に聞かせてもらう。戸田先生はこれまでも継続してスーパーバイザーとしてジョティーで指導されているが、現地の職員の人には、今日の脳や神経の話といった内容がイメージすることができているか、またそのための図や絵等の資料が準備されていればよかったかなどとその夜の反省会の時に話がでていた。
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 シスター川岡の話では、職員の人たちは高学歴の人々は実際に少ないが、日頃の実践やこの研修で保育士として、あるいは人として高い資質を身につけられている。今日の研修でも、子どもの敏感期がとても大事であることなど感じいっていたようであり、疑問に思うことは質問がよく出ていた。ジョティーでは、広くこの研修会を外部にも開かれ、地方からも研修に参加している人も含めて、みな真剣に研修に取り組んでいた。

ジョテイーケンドラには現在70名を超える子どもたちが保育を受けている。シスター川岡が言われるように、今の施設では活動を行うのに大変狭くなっているようであり、体を十分思うように動かすようなスペースはとれていないのが現状である。それでも、子どもたちは手狭な環境でもストレスを感じさせることなく、どの子も大変落ち着いて教育を受けている。これまで私も広島市内の幼稚園をたくさん訪問し、子どもたちの様子を見させて頂いたが、子どもたちは環境に合わせて育っていく。たとえ手狭な環境であっても、そこでの指導の原理が子どもたちのこころと体と感性とを調和よく保つものであれば、子どもたちも適切に育ちをはぐくんでいける。その核になっているのが、シスター川岡の愛とリーダーシップであり、モンテッソーリ教育の理念であるように感じた。

 その夜、シスター川岡、戸田先生、スッカさん、シスターミナさんと一緒にホテルフェワプリンスでの会食の席に同席させていただくことになる。道の途中、このホテルでは若者のコンサートが開かれるようで門はとじられ警備も厳しい。周辺には日本の若者のような服に身を包んだ茶髪の女の子がたむろしていたりする。シスターはネパールの暴走族みたいねとおっしゃる。食事の前にホテルの日本式のお風呂をいただくことができた。りっぱな浴槽でふんだんにお湯が満ちているのにびっくりである。その上、タオル、石鹸、シャンプー、リンスまでついている。おいしい日本食の食事である。天ぷら、ひじき、酢の物、トンカツ、ポテトフライ、みそ汁と感激である。その夜、その日の研修についての話やネパールの最近の話題などに話の花がさく。女性陣はホテルにそのまま泊まり、私はホテルのスタッフの帰宅に合わせて、車で送ってもらうことになった。

投稿者 kanrinin : 06:54 | Comments (1) | Trackbacks (0)

第3日目 8月13日

ポカラのビダ(休日)

今日もここネパールで命の花を開かさせていただいていること、ネパールの国と人々の出会いに心から感謝するできことがあったすばらしい一日であった。ネパールでは土曜日が休日。我が極楽安宿サントシから歩いていくこと40分。ミサはシシュビカスケンドラのすぐ近くの礼拝堂で開かれる。近所の少年がここであるよと教えてくれる。30u程度のその部屋は満員。私は仏教徒ではあるが、ミサで祈りを捧げさせて頂く。世代や民族、文化の違いを超えて、自然の流れのなかで、共にネパールの人々や子どもたちの幸せを願って尽力されている人々とともに、こころひとつ祈りを捧げられること、そして今日の機会に感謝した。

大木神父はそこに集まった人々に戸田先生や名もない私の紹介までしてくださった。突然のことでびっくりしたが、一言挨拶をとおっしゃられるので、私はネパールの人々から多くの愛を注がれて強く生かされている事に感謝し、私ができることを皆さんにお返ししたいという気持ちで今回訪問させていただいていることを素直に話す。そのミサの時に、はじめてシシュビカスケンドラの職員であるダミアンさんと奥さんのジュリアナさん、そして娘さんのエレナちゃん、ノエルくんに出会い、明日お尋ねすることを伝える。

 この日は、休日であるため、この日に若い友人マヘンドラに会いにいくことを決めていた。2000年の12月に家族でポカラを訪問し、サランコットの丘の付近で道すがら出会った中学生の男の子ははや、大学2年生になっていてこれまで手紙のやりとりをしていた。  マチャプチャレの山々がはるかに見渡すことができるサランコットの展望台から歩くこと約1時間。
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途中の茶屋でマヘンドラの手紙と写真を見せて聞くと、この谷の下の方だという。若者が案内してくれるというのでついていくことにする。ポカラの大学に行っているので、今日会えるかどうかわからないので幼なじみの友人に尋ねてみるが、わからないという。谷底へ畑のあぜ道を下っていくこと約10分、急に視界が開けたかと思うと、一軒の家が現れ、庭でとうもろこしの皮むきをしている青年に出くわす。それがマヘンドラだということはすぐにわかった。うれしかった。会えたのだった。グレイト! 感激した。2度抱きしめた。
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これまでの話をし、家族とも話をする。細かい心情まではことばは十分には伝わらないが、表情や態度でよくわかる。気持ちのあたたかい、互いに人の気持ちを推し量って行動する、そして働き者の家族、すばらしい家族だ。私のために特別においしいチャイとダルバードを作ってくれた母さん。まきを燃やして火をおこし、あたたかいお茶をわかしてくれた。傍らにねこが一匹目を細めて丸くなっている。心から癒された。ネパールの山奥の谷間にある友人の家で、時間と空間を超えてその家族とともに飲むチャイに私の心は平安そのものであった。このダイヤモンドのような時間と空間、このチャイの味を生涯忘れはしないと心から思った。この感覚は、日曜の朝、食後、家族とともに飲むコーヒーの味と同じでとても平和な感覚。ネパールでも女性はよく働く(というか、男性が甘えている?)。
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母さんは野良仕事から帰ってくる。妹は牛に与えるほしぐさを集めている。家にはやぎが1匹、牛が3匹(農耕用牛1・ミルク用2)がいる。段々畑の広い畑でいろいろな野菜を作っている。今日のように晴れた日はいいが、雨の時は大変だ。おいしい大きいキュウリを出してくれる。辛いみそのようなものを付け合わせで出してくれるが、それがなくてもおいしい。そしてまた、ダルバードをわざわざ作ってくれて食べさせてくれた。大盛りで少しごはんを残したが、水牛のダヒヨーグルトもおいしく頂いた。写真もいっぱいとった。妹もよく働き誠実なネパーリーだ。マヘンドラとは将来のことについてもよく話す。
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現在ポカラのプリティビ・ナラヤンキャンパスの学生2年生として物理学を専攻しおりその道のスペシャリストになりたいという。日本に行くのが夢だという。ただ、ビザの取得が大変困難であるという。いつの日か、私の両親をつれていくことができるだろうか。自分たちの親や祖先を大事にするのは、古今東西の共通した観念である。

ホテルには夕方6時頃ついて7時過ぎに外へ食事にでる。近くの大衆食堂に入ると、勤め帰りのおじさんや老人が食事をしている。外で食事をしているのは男性ばかりである。女性が大衆食堂やチャイ屋で食事をしたりお茶を飲んだりしているのを見かけることはこれまでもない。なくなると次から次へと焼きたてをもってきれくれるチャパティーがとでもおいしそうに見えて、ダルバードを注文する。あわせて自分へのご褒美にスイートも。甘い物は極端に甘いが、疲れた体にはとてもおいしい。
プリティビチョークの交差点を始め、街角にはいたるところに複数で銃を構えた兵士が立って警戒にあたっている。部屋に帰り、横になると、夜10時ごろまでヒンディーによる鐘と太鼓によるプジャ(お祈り)が表の通りの向かい側で行われており、とてもにぎやかである。私が眠りにつくころには、もうやんでいた。今日の日に感謝して横になる。

投稿者 kanrinin : 06:56 | Trackbacks (0)

第4日目 8月14日

ジョティーケンドラとセワケンドラ

深夜からの激しい雨で何度か目が覚める。夜明けにかけても激しくふっている。今日は、ジョティーとセワの両ケンドラ(センター)を訪問する予定になっている。午前はシスターのご配慮で子どもたちとの食事も勧められている。今日からはスッカさんの計らいでダミアンさん(宮さん)の家に泊まらせてもらうことになっている。

ジョティーでは主に3歳以上のクラス20人の指導場面を見学する。9時半ごろまでに登校して、まず上着とエプロンを身につける用事を済ます。そして1時間から1時間半ぐらい、それぞれがモンテッソーリ教具を使って学習。一人一人がグリーンのマットを敷いて静かに取りかかっている。これまでの一貫した指導方法や子どもたちの課題にあっていると見え、うろうろしたり話をしたりする子どもはいない。黙々と静かに取り組んでいる。小さい子は1歳半から。
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 3歳以上の子どもたちは言語性の課題と動作性の課題に別れて学習する。言語性の部屋ではこの日、シスターが直接指導をされ、子どもも意欲的に大から小への量比較の教具を操作している。シスターがやさしく言葉少なにほめられる。気持ちが満たされると子どもや意欲的に次の教具に取りかかる。半具体物と具体物。そしてマッチング。色版を使って教室の中の同じ色を捜す。動作性の部屋では積み木の組み合わせとパズル、ひも通しなどの課題に黙々と取り組んでいる。1歳から2歳の子どもたちも1階の部屋で予想した以上に、落ち着いて学習している。終わると一斉に手をつないでトイレに移動。教室にもどると朝の会がはじまり、名前の呼名がある。
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その後、円になったままで「線上歩行」というプログラムが待っている。教室の真ん中に白い線(ガムテープの幅)が描かれており、その上をろうそくや国旗を持ったままゆっくりと心を落ち着けて歩く。順番は教師が無声音でよぶため、全ての子どもが静かに集中している。ゆっくりと歩きながら自分の心と体をコントロールできる時間であり、子どもたちはこの時間がとっても好きだという。
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モンテッソーリ教育はこの国の時間の流れにあっているのではないだろうかと思った。というより、ネパールでその実践が活かされる環境が温存されている方が正しいのか。ゆっくりと流れる時の流れにそって、いろいろな教材・教具に子どもたちの息が吹き込まれ、子どもたちの感覚も感性もより高まり深まっていく、そしてその魂が磨かれていく。こどもたちはその後、昼食の準備に取りかかる。昼食の準備は当番の子どもが配膳し、先生方はその支援をする。
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今日はゆで玉子入りカレー。以前は1個だったが、今は経費もかかり一人半分だという。家庭が貧しくて朝食を食べてきていない子どももいる。日本でも最近「食育」という言葉が聞かれるように、「食」と子どもたちの育ちの関係がよく議論されるようになった。
ネパールの平均的な子どもたちの食環境は決して十分ではなく、むしろ貧しい。そんな中でも「豊かな」日本の子どもたちよりも生き生きと活動しているように思えるのは、私だけだろうか。何が大事なんだろうか。ネパールの子どもたちは私たちにこの大事なこと、忘れてはいけないことを私にも警鐘、示唆してくれているように思えた。その後には、すぐお昼寝の時間で、子どもたちも静かに寝床に向かう。
 
前にも述べたが、ジョティーケンドラの先生方は決して高学歴の人たちではない。ただ、シスターや子どもたちとの出会いにより、その精神性が質の高いレベルに引き上げられて、いや自分たちで引き上げていくことで、一人一人のその表情は輝いている。自分たちの仕事に誇りをもっている。先生方の指導の様子や後ろ姿からそんな風に感じられた。日本では教員になりたての頃の理想に燃えた喜びが陰を潜め、疲れ切っている教師も多い。それは、確かに時代の要請と期待される役割が拡大されてきている実情もあるかもしれない。

教師は多忙になって、子どもたちとの深い関わりが、もっといえば子どもたちからの学びができなくなっているという声を数多く聞く。しかし、子どもと教師という太い関係は変わるものでない、また変わっていいものではない。深い信頼関係を築く立場は現場の教師である。教師である限り、その使命感を絶対に失ってはいけない。子どもにとって、親にとってそれは唯一の開かれた将来への窓口なのだ。窓は大きく開かれていなければならない、さわやかで新鮮な、またあるときは刺激的な風が吹き込まれる、子どもたちが大きく胸をはって生き、あるときは大きく深呼吸ができる風の通り道でなければならない、そんな風に思う。大げさかもしれないが、この国の時間の流れと空間の構成、もっといえば人々の感性・思想にあった教育のシステム化・系統化がなされることで、より充実して未来を信じて希望を持った子どもたちが育っていくのだろう。
 
ジョティーケンドラの訪問の後、急いでセワケンドラの方へ徒歩で向かう。近くまで来て、途中で道を尋ねると、それらしき建物の敷地へ案内してくれた。そこには、おばさんと孫らしき子どもがいるが、スッカさんたちのことを知らないというのでどうもおかしいと思いながら「ここはセワケンドラか」と聞くとそうだと言う。確かに礼拝堂もある。おばさんが責任者の人に電話をしてくれて、話をすると、誰かよくわからないが、私の話をよく聞いてくれる。そして、たぶん、まだスッカさんをはじめ、みんなは買い物学習から帰っていないのでいない、ここで待っていることを伝え待つことにする。女の子がウマレコパニ(お湯)とお菓子を出してくれた。
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お湯を飲みながら考えた。セワケンドラは元スカッシュ場であり、その看板が残っていると。そこで改めて外に出て捜してみると、そこから100bもいかないうちに、近くの3階立ての建物の壁面にスカッシュ場の看板がある。そして子どもたちの声をするではないか。中に入っていくと、みんなが「ナマステー!」と元気に挨拶してくれた。スッカさんらしき人もそこにいた。では、さっきの建物はと聞くとプロテスタントの教会だとわかった。火のでるような思いをして戻り、お詫びに10Rsを渡した。ともさんの失敗の巻!思いこみは恐ろしい。
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本物のセワケンドラでは、11名の青年たちがネパールダンスを踊るところであった。私も簡単な自己紹介をして踊ることに。私の見よう見まねのダンスを見て先生も子どもたちも失笑しながら踊っている。先生方はジュリアナさん以外に用務係の方も入れて3名である。ダンスの後は、帰りの会。今日一日あったことを一人一人で話すことになっていた。午前中の買い物学習に出かけたことの反省を話している。
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ことばで、うまく伝えられない子はうつむいている。ネパール語での会話なので一部しか内容を理解できなかったが、文字や絵を用いて、あるいは簡単な答えやすい内容での質問により、生徒の表現を引き出すことが可能になる。指導する先生方もまじめで一生懸命であるが、より専門家として資質は、子どもたちの意欲を、強いては生きる力をひきだし育てるのに、とても大事である。
スッカさんの話によると「なんとか若い指導者の方に研修を受けてもらって指導に当たってほしい。後継者を育てたいという。研修先は日本ではなく、言葉の関係もあり、カトマンズかインドへ。そのための研修の費用は出してもいい。」という。セワケンドラは昨年開設されたばかりで、ネパールでは、はじめての通所の施設(障害者ディサービスセンター)である。今やっと始まったばかりであるが、セワケンドラの実践がネパールにおける通所施設のモデルになる覚悟でいろいろと試行錯誤を重ねながら取り組んでいる。

セワケンドラで学んでいる生徒たちは、たぶん家や地域で見せている顔とは、ずいぶん表情が違っているという。ここに来れば仲間がいる。成長を見守ってくれる、いっしょに喜んでくれる先生が待っていてくれる。そのことが何よりもうれしい。心から生きている実感をもてる。ここに来れる生徒たちは本当に幸せである。一方でそうでない子どもたちがほとんどである実態がネパールなのである。でも、できることを努力することで、いつの日か必ず、矛盾は止揚されるというが、花ひらく。そう信じている関係者のみなさんの思いである。
 
明日は聖母マリア様の被昇天のお祝いがあるというので、スッカさんはシシュビカスにケーキを作りにでかけた。その後、私はスッカさんも滞在しているダミアンさんの家(宮さんの家は3・4階部分)にお世話になり、娘のエレナちゃんとまずは、シャボン玉遊びに興じる。エレナちゃんも大喜びでのびやかな声がよく聞かれた。私の最初のお手伝いは、スッカさんといっしょに買い物に。カシコマス(山羊の肉)や鶏肉、ポークウインナー、野菜を肉店や市場へ買いに出かける。両手いっぱいの食料を抱えて家へもどる。それらの材料も使って、ダミアンさんの家でジュリアナさんやおばあちゃんが作ったおいしいダルバードのごちそうをに預かることになった。味はすこぶるおいしくて、おかわりをもらう。食事のあとは、リビングでエレナちゃんの小さい頃の写真や家族の写真を眺めては、いろいろと話をする。

エレナちゃんはダウン症であるが、ペワ湖近くの小学校にスクールバスで通っている。ノエル君はまだ1歳前であるが、私の方へもよくやってきて髪の毛をよくさわりにきていっしょに遊ぶ。おじいちゃんもおばあちゃんも愛情いっぱいで子どもたちを元気に育てている。ノエル君はわけあって、もらい受けた子どもである。生涯かかって面倒を見ていく決意を固められた家族には、いろいろな思いがあったろうが、深い愛情がなければできないこと。スッカさんのレポートにもその経緯について書かれていたが、ノエル君の将来に期待するものも大きいものがあるだろうし、今はまだその全容が我々には見えないが、きっと運命の出会いとそのすばらしい結末というべきものがそこには隠されているのであろう。
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投稿者 kanrinin : 06:57 | Trackbacks (0)

第5日目 8月15日(月)

シシュビカスケンドラ・そして砂運び・シッダルダクラブ

今日は午前中にシシュビカスの見学を、午後からはシスター川岡の案内でジョティーケンドラの近くにある砂運びの仕事場を視察する予定である。そして夕方5時からはマリア様被昇天のお祝がある。実は夜はスッカさんのお薦めもあり、大木神父との食事を計画していたが、あいにく大木神父の腹具合がよくなく絶食中ということで、その夜はシッダルタクラブの面々と会うことにする。ダミアンさん(宮さん)の家に滞在中は毎朝、スッカさんがおいしい朝食を準備してくれていて、感激並びに恐縮の気持ちでいっぱいである。
食事をしながら彼女とセワケンドラや将来の夢について話をする。スッカさんは、広島在住の宮さん(宮内さん)の手伝いとしてセワケンドラの運営や現地のコーディネーターの役割のようなことをしている。宮さんとスッカさんはまさに身銭をきっての財政支援を、そして一年に少なくとも一回は現地に来て、必要なものや運営状態を確かめ、改善しに来ている。今回もスッカさんは、公私ともに大変忙しいなかを2週間余りの時間を作って現地へ来ている。私は今回、神様のお導きかもしれない、たまたま、恩恵に授かり、多くの貴重な体験をさせてもらえることになったことに、多大な感謝をしている。
 
ダミアンさん(宮さん)の家を出てシシュビカスに向かうころには雨が降ったりやんだりで、今日一日こんなすっきりしない天気である。シシュビカスでは、今日も子どもたちのトレーニングが始まっている。全員の出席を確認した後は、中庭に出て体操である。その後は軽くランニング。そして鉄棒等の固定器具を使って各々ぶら下がりをしたり、うんていをしたりする。続いて2階の体育館でマット運動をする。
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前転から後転、横転、飛び込み前転、後方開脚など日本の小学校高学年程度の体操の内容を子どもたちはみな手慣れたように、どんどんこなしていく。鉄棒にしてもマットを使った指導も、ポカラの会をはじめとする日本の方々からの多くの努力、支援や寄付がなければ実現しなかったと大木神父は感慨深げに語られていた。
 子どもたちはこれらの遊具や教具を使ってこんなことができるようになったんだよ、ね、見て、見てとアピールしたく、手をひっぱたり、目線や笑顔で訴えたりしてくれる。子どもたちのすばらしい笑顔と成長が私たち会員のなによりの見返りである。先輩の会員のみなさま、ありがとうございます。子どもたち、たいへん感謝していました。次に、4教室に別れての課題別学習である。絵本の読み聞かせ、算数の繰り上がりのある足し算、色の識別の学習、数字や文字を書く学習などであった。ダミアンさんの3、4人のグループでは絵カードのマッチングを通して同等のあるいは類似することばの正しい発音を促す学習を行っていた。どの教室にも黒板もしくは小さなホワイトボード等の表示物があれば視覚的情報を有効に活用できて大変便利だろうとも思う。
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指導については、今回、当初の計画では、全体の指導体系や年間スケジュール、個人の目標、願い等を把握する予定であったが、それだけの把握するためのケンドラでのスケジュールや時間の確保が困難であったため、私の改めての課題となった。その後、高学年グループは少し離れた教会の建物の1階で作業(縫い物)学習を行う。狭い1室に入りきる人数ではなく、また指導者の数も限られているので、交代で刺繍をしたり縫い物をしたりする。また待っている子は紐とおし練習器をして順番を待っている。別の部屋にはさをり織りの織機が1台おいてあり、地元の信者の子が作業をしていたが、どのような活動状態になっているのか、気になりながら立ち去った。シシュビカスに帰って、昼食(おやつ・やきそば)を一緒にいただき、その後は休憩。休憩時間には、走り回ったりしてはいけない。私は一緒に日本の手遊び歌やスキンシップを交えて仲良く遊ぶ。子どもの中に、昔最初の赴任校であった肢体不自由養護学校で教えたことのある失調型のM君とそっくりの男の子がいて、彼がよく私のことを気にかけてくれていた。
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その後、ジョティーケンドラに出かけ、シスター川岡の案内で、戸田先生と一緒に、歩いて15分くらいのところにある砂の採石場まで出かける。近くまで来るとあちこちから「シスター」「ナマステ」と声をかけてくる子どもたちや大人たちがいる。それはジョティーの卒業生であったり元保護者であったりする。シスターが信頼され、慕われているのがよくわかる。しっかりと地域に根をはって活動を続けておられるのがよくわかる。
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スラムといっていい建物のそばを通り選る頃には何人もの砂はこびの人たちが40,50キロあると思われる砂をしょって坂道を上ってきているのが見える。私も大学時代山岳部であり、その重さがどれだけのものであるか、体にしみこんでおり、その辛さは少しはわかるつもりであるが、それを急な登り坂を含む片道3、400m1回運んで10Rs(15円)である。比較的体力のあると思われる私でも1回運べば、くたくたであろう、10回運んで150円である。日本で言えば汗をかいてまさにジュース1缶買えばなくなる金額である。今は雨期であり、砂も湿って重くなっている。
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日頃は女性労働者が多いが、この日は男性も、そして若年の子どももたくさん出ている。このような労働を生涯にわたってずっと続けているのだから、寿命が短くなるのは当然とも思えた。体が早くだめになる。シスターが続けて地元の人との話で、水の量により川は蛇行し、砂のとれる場所は変わる。変わるたびに、できるだけ近くの砂をとりたという思いから、砂をとる場所をめぐってはけんかになることが多いというのだ。
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ネパールでは外国での出稼ぎ労働者が外国で外貨をかせいで、大きな家を建てている様子をよく見かける。家族を離れて見知らぬ土地で働くこと、これも大変なことである。そしてその人々の家を建てるために働く人々の暮らしも大変なものである。砂はこびを仕事をする労働者だけでなく、ネパールで懸命に働く人々の汗と苦労が報われることをいつも願い、祈りを捧げたい。暮らしが楽になり、人々の心が平安であるように。そのための日本からも心ある多くの市民や団体が支援を続けている。
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帰りに、聖母被昇天のお祝のミサがあるのでと誘われて出かける。2階で祈りを捧げた後は、1階で昨日夜遅くまでスッカさんたちが作っていたおいしいパウンドケーキとチャイをいただいた。祈りの時にはいつも、新たなパワーを頂いた気分になった。
 
そしてその夜、スッカさんと一緒にシッダルタクラブの会員たちとの食事会に誘われて参加することに。雨がしとしと降る夕暮れ時、仕事帰りのメンバーたちがシッダルタクラブの前に集まってくる。
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集まったメンバーは全部で6人と私たちジャパニが2人。町中のレストランに行き、わきあいあいと話をする。シッダルタクラブについてはポカラの会のHPや倉光先生の著書で主な活動内容については知っていたが、ダミアンさん以外の会員の人たちとはそれまで面識のない人たちだったが、それぞれが地元やネパールの将来のため、できることを考え行動を起こす意欲を持った青年たちであることがその夜の会でよくわかった。
シッダルタクラブは政府の援助に頼らない全く民間の団体であり、運営も大変であろうが、もともとこのクラブは21年前にシッダルタユースクラブという名でできた。現在、その会長がダミアンさんである。新しい発想で貧しい人々の暮らしと生活に役に立つような事業を考え、実行しようとしている。

その一つに人々が病気になったときに、安心して入院できるように、シッダルタクラブが医者と契約し空きベッドを用意しておき、お金のない人もそこで治療を受けることができるというものだ。その資金としてシッダルタクラブでは入院できるための費用の寄付を求め、お礼にベッドに広告を載せるという。24人賛同者が集まれば(資金一人あたり1ヶ月分1万5千円)事業を開始できるという。ネパール人の給料が平均月5千円だから、約3ヶ月分である。スッカさんはもちろん、その16番目の登録者として私も申し出ることにした。現在、何人の賛同者が集まっているのか知りたいが、このことを知られたみなさん、お志があればいつでもお申し出をお待ちしております。いつこの事業が開始できるか、楽しみに待つことにした。
これまでにも宝くじを発行し、多くの人々に寄付をしてもらっているという。スッカさんはこのシッダルタクラブのいいところは会計監査が大変厳しくしっかりしていることだと言い、寄付や支援をした方々のご好意が少しも無駄にならないように心配りがなされている。その夜の食事会は、会員の中でも大変、日本語が上手な人がいて話が弾む。私もネパール語で十分な話ができるようにならなければと思う。

投稿者 kanrinin : 07:00 | Trackbacks (0)

第6日目 8月16日

セワケンドラの今後など

クリックすると大きな画像が表示されます 朝めざめるとスッカさんはすでにミサに出かけていない。外を眺めるとマチャプチャレの山頂が雲の隙間から頭を出している。しクリアーには見えない。それでもこの雨期の時期にポカラの「顔」マチャプチャレを見ることができたことに感謝。
シシュビカスケンドラへでかける途中で、昨日であったばかりの女の子とお母さんが一緒に登校の途中だったが、私と一緒に手をつないで登校。今日は見学と活動を。私のかっての教え子に似たクリシュナ君は私にがんばっている様子を盛んにアピールする。他の男の子たちもすっかり仲良くなり、私の手をとって関わりを求めてくる。
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 その後、セワケンドラへ。セワでは4階の食堂で先日買い物学習で購入した材料でモモ作りを行っていた。講師の先生はジュリアナさんの親戚の方。食堂にみんなが座り込んで1、2名がモモの皮作りを手伝い。粉を団子にする。他の待っている子はパズル等で遊んで待っている。また、中には団子を延べ棒で丸状に延ばしている。今回は初めてということで作業の多くを大人がしていたが、今後少しずつ自分たちの力で作っていくことを目標にがんばれば、いい。そして家庭でも自分で作ることができ、家族のみんなに食べてもらうことができれば最高だろう。自信にもなる。スッカさんは将来自分たちがモモを販売することができるようになることを願っている。そのためには、段階を経た指導が必要である。作業の見通しはもとより、どのような大きさのモモか、材料はどれくらい入れ、調味料はどの程度、皮はどの大きさまで延ばせばよいか、など手順をおってモデルを示しながら一人一人に丁寧に指導することが求められる。そのような学習環境を構成することも大きな課題であるが、これから作って行けばよい。ここにはまだ、何もないかわりに、なんでもできる可能性に満ちあふれている。全体計画をしっかり練る必要がある。
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できあがりをみんなで食べることに。とてもおいしいモモができあがった。
 その後、スッカさんにセワケンドラの今後のことについて話しを伺う。私も日本の最近の話題から使われている個別のニーズの把握の仕方や記録の付け方の代表的なフォームの例やプランの作り方等を簡単に説明する。ただ、あれもこれもというのは一度には困難なので、資料の多くについてはジュリアナさんの了解のもと、セワケンドラのロッカーにいったん収めることにして、まず本人や保護者のニーズ把握表をネパール語で訳して使えるようにするということになった。

セワケンドラの事業は今始まったばかりの取組であり、教室には週の予定表なども見あたらない。これから全体の計画を作っていく段階である。進め方については、将来ネパールの人々が自分たちで担っていける内容で、運営していけるようにしていかなければいけないだろう。日本の特別支援教育のシステムの中で参考になることはどんどん取り入れ、ネパールにあった内容にアレンジしていくこと、そして段階的に取り入れることが大切であろう。作業種目をどんなものにするか、十分な検討が必要である。ダミアンさんもジュリアナさんも一定の知識はあるであろう。それを実現させるのが我々のサポートであろう。宮さんやスッカさんの支援がより有効に作用していくように私も知恵を絞って情報提供等をしていくことが必要である。
 
その日の夜、ダミアンさんの家の3階の食堂で、夕食会が開かれた。セワケンドラの職員のみんなとシスター川岡、シスターミナ、戸田先生、ダミアン家族等大勢で楽しく会食。ダミアンさんの通訳でセワの子どもたちのことや職員の指導力の向上を図るために、研修に行かせることや大学での足りない単位を取らせたいことなども話題にあがっていた。スッカさんのおいしいすしごはんやごちそうがところ狭しと並ぶ。
セワケンドラでは足りないものがまだまだいっぱいある。体を休めるためのベッドや毛布、何よりも作業を進めるための設備、教材等がない。何よりも全体計画がまだ整っていない。今後、精一杯自分でできることは支援させてもらいたいと思った。一緒に問題を共有していること、考えさせてもらうことが一番に大事と考え、トライした結果、多くのネパール人と出会い、ポカラの会のメンバーに大切なことを教えて頂いた。次回、来るときには今回の状況を整理し、ライフワークとしてのスタンスを固めていきながらますますクリエイティブに活動していきたいと願う。

投稿者 kanrinin : 08:03 | Trackbacks (0)

第7日目 8月17日(水)

ポカラ旅立ち

朝目覚めるとやはりマチャプチャレは見えない。今日は、ポカラを離れる日であり、ベランダに出てその方角にあるであろう山並みに向けてカメラを向けてしばらく待ってみる。ベランダから見える町並みには、人々の暮らしがある。眼下には四つ辻があり、子どもたちが登校途中であったり、大人たちは井戸水で洗い物をしたり、売りに出す商品を並べるなどの準備をしたり、一日のはじまりを迎えている。
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 今回の旅のお礼をと思い、セワケンドラ、シシュビカスケンドラにお礼に行く。シシュビカスでは大木神父と障害児教育のことを話す。大木神父には最大限の協力を申し出るとネパールでも自閉症の子が来てどうしたらよいかを考えているという。日本とアメリカでの自閉症教育の現状を簡単に説明する。昔は自閉症も親の育て方の甘やかしのせいでそうなっていたと思われていたという。
ネパールでは家族の実情が大変という。若い年で結婚してすぐ離婚するというケースも多いという。早い子は12歳で結婚して子どもを産む。子どもの育て方もわからないまま10人産んでも生き残るのは3人ぐらいという。また、愛を持って結婚するのではなく、親の面倒を見させるために親元へ嫁を送らせ、本人は2番目の妻と一緒に暮らしているというケースが都市では見られ、離婚が増えているという。子どもにとっては厳しい現状である。

大木神父がジョティーケンドラまで送ってくれたが、あいにくシスターは給料日で銀行にお金を取りにいっていなかった。戸田先生に挨拶をして再会を誓う。車に乗っている間、大木神父はなんでネパールに信号ができたのか、いらないではないかと半分、本気とも冗談ともとれない話をされる。倉光先生からは大木神父は大まじめな顔でとんでもない冗談を話すから要注意だとも言っていたのを思い出した。でも考えさせられる話である。
ポカラ空港まで神父様が直々に送ってくださる。
カトマンズまでのブッダエアに乗ってヒマラヤを展望するが、やはり見えない。さよならポカラ。またすぐくるからね。
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バクタプルのダルパール広場につくといつものようにガイドがやってくる。また、子どもが「ギムミー1Rs」と言ってくる。子どもには「そんなことを言わないよ。ネパールの君たちは自尊心のあるとてもいい子だから」と言って諭す。子どもはどこにいても子ども。折り紙で風船を作ってあげると、1枚はこわれずに、もう1枚はちぎれてしまったが、その1枚の折り紙も大事に持って帰るこどもたち。以前、旅の途中でお世話になったラジュさんの家を探しながら歩いていると、坂道の途中に広場があり、子どもが遊んでいる。子どもたちとネパール語のテキストをもとにおしゃべりを楽しんで、その後記念写真を撮る。どこでもおちゃめなこどもたち。
 ネパールの町にも日本からの寄付などにより信号も増えている。ただ、それを守るかどうかは別の問題。私など絶対渡らないと思える危険地帯でも、おそれずにどんどん渡って歩いていく。人優先で絶対ひかれないという強気の精神か、それにしてもやはりひやひやものである。旅は好奇心旺盛で元気な方がいい。どん欲に行動できる気持ちと体力を維持したい。ただ、現地の人や他の人に迷惑をかけずに、感謝して。旅はハードであっても、どきどきしながら、人生と同じ。
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カトマンズ最後の晩はイタリア料理店でカルボナーラ。220Rsと少し贅沢な食事。隣の席には大柄な太った外国人とやせた外国人2人にネパール人の女の子。学生鞄をもった12歳から15歳ぐらいの女の子で会話はよく聞き取れなかったが、援交ではないかと思われる。ネパールでも売春はあり、人身売買も未だに執り行われているという。
 ホテルレッドプラネットに戻るとオーナーが丁度私に伝言を書いていたところであった。今神奈川の石田画伯が来ているという。その連絡先を記入してくれていたところだった。オーナーは今ネパールは経済が停滞しているという。客も減り、金を落とさなくなっているという。そんななかでも自分は少し前まで多くのことができ、2,3ヶ月前に新居を建てた。タイミングがよかったという。地方ではマオイストがやってきて寄付を強要したり、軍事訓練に連れ出したりと大変だという。一方でギャネンドラ国王もやる気がなくよくないという。

投稿者 kanrinin : 08:05 | Trackbacks (0)

第8日目 8月18日(木)

新たな誓い

クリックすると大きな画像が表示されます 今日はネパールを発つ日である。せっかくランニングシューズを持ってきたのだからと思い、早朝ランニングに出かける。かくしてトリブバン空港につく。空港税は1690Rsなのだが、15RS足りなかったが、職員はいいよと言ってくれる。たぶん、他の人からかすめ取っているお金が入っているのであろう。大変おおざっぱ。銀行のおつりも黙っていたら返してくれないことも多い。
 なんやかんやであっという間の今回の旅であった。次回の訪問では、今回できなかった個々の子どもたちのケーススタディをじっくりと取り組んでみたいと思う。そのことが具体的な支援を考えるきっかけになるであろう。かくしてたくさんの人々の応援を受けて、大きな事故や怪我にあうこともなく無事日本に帰りつくことができ、今は、すべてのことに感謝いっぱいの気持ちである。

投稿者 kanrinin : 08:06 | Trackbacks (0)